アオシマナイ遺跡
オホーツク文化を物語るアイヌのチャシコツ

アオシマナイ遺跡は、濤沸湖南東岸の段丘上にあるアイヌのチャシ(城や砦をさすアイヌ語)跡である。
1967年5月に発見され、2重の壕があることから大規模で堅固なチャシであったことがうかがえる。また、チャシのあった段丘の下には濤沸湖から水路が掘られ、チャシの麓まで船を寄せられるような構造となっていた。それだけでなく、周辺には多くの貝塚が分布する大規模な遺跡であることが分かった。
1996年から2000年にかけて行われた発掘調査において、チャシがつくられた時代の貝塚の上下層から火山灰が発見され、チャシ跡は近世アイヌ期のものであることが判明した。
そして、さらに下層からは、縄文時代早期の土器や長袖9メートルを超す大型の竪穴式住居の遺構が出土しており、土器片や石斧、シジミ・ホッキ等の貝類、鳥獣骨などが発掘された。
また、人工的な加工が施されたエゾシカの頭骨が多数見つかったことから、この場所で「シカ送り」の儀式が行われていたと考えられており、アオシマナイ遺跡は、オホーツク文化やアイヌ文化を研究する上で非常に重要な遺跡である。
貝塚の多くが畑の耕作によって既に失われているが、チャシ跡については故・山谷忠男氏とそのご家族により保存が続けられてきた。現在、段丘には自然林が繁茂し、いにしえの時代を彷彿とさせる景観を形作っている。しっかりとした施設などはないが、網走にある北方民族博物館やモヨロ貝塚と併せて立ち寄ってみたいスポットだ。
イオマンテとシカ送り
クマを神聖視していたオホーツク文化を取り込んだアイヌ文化において、イオマンテとはヒグマの姿を借りて人間界に降りてきた神(カムイ)を一定期間もてなし、神々の国(カムイモシリ)へ還すための儀礼である。
クマ送りのイオマンテでは冬の終わりごろ、まだ冬眠中のヒグマを狩る。
母熊はその場で殺すが、冬ごもり中に生まれた仔熊がいた場合、その仔熊を集落へ連れ帰り、1~2年の間家族として大切に育てる。
その後、集落を挙げて盛大なクマ送りの儀礼をおこない、数々の供え物や唄や踊りを捧げたのちに仔熊を殺し、厳格なルールに則り解体し、感謝と敬意をもってその肉を振る舞う。
そして、たくさんの供え物をもって神々の国へ還ったカムイは、再び肉と毛皮をまとって人間界へと降りてくるとされた。
イオマンテとは、人の世界に肉や毛皮を与えてくれる神々をもてなし、そしてその神々を還すことで、集落の豊猟を願う一種の豊穣儀礼であり、命と引き換えに肉や毛皮を与えてくれる獲物に対し最大限の感謝と敬意を表すための儀式なのである。
通常、イオマンテはヒグマの送り儀礼を指すことが多いが、本来は狩りの獲物として命を奪うすべてのものがその対象とされ、シマフクロウやシャチのイオマンテを行っていた地域があることも分かっている。
シカについては、頭骨を祭壇に祀ったり送り儀礼をする地域はあっても、クマのように盛大な送り儀礼をしていたという事例は伝わっていないが、もしかするとアオシマナイの一帯にはエゾシカを対象としたイオマンテを行う集落があったのかもしれない。

森の中にある遺跡の2重の壕。
現在の深さは最大2メートル程。

木々に囲まれた竪穴式住居跡。
